ひとつひとつの持ち物に投影された自分の心。村上春樹「トニー滝谷」を読んで

服を買う

持ち物にはすべて、自分の心が投影されているように思います。

セールで買った服。
贈り物でもらったマグカップ。
何気ない日々の消耗品。

ほんの小さなものでさえ、自分が選び、手元に置いたモノたちには自分の心が映っています。

モノを見返すと、何気ない日々の中に「自分の心」がたくさんの彩りを添えている事実に気がつくことができます。

今回は小説の一文から、モノと心との関係を考えてみます。

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村上春樹「トニー滝谷」に出てくる女性について

もう古い小説ですが、村上春樹の小説に「トニー滝谷」という物語があります。

短編集「レキシントンの幽霊」にあるこの短い物語は、トニーという一風変わった名前を持つ人間の半生を語ったもの。

私はこの小説がとても好きです。

この物語のなかに、トニーの妻となる女性が出てきます。

彼女はまるで遠い世界へ飛び立つ鳥が特別な風を身にまとうように、とても自然にとても優美に服をまとっていた。

引用:[書籍]レキシントンの幽霊 (文春文庫) 村上春樹 著 「トニー滝谷」より

トニーの視点から見た素敵な一文で説明される彼女の姿。

服がとても大好きで、そして服がとても似合う女性です。
服が好き過ぎてトニーと結婚してから新居に部屋ひとつ分のクローゼットを持ち、それでもブティックへ服を買いに行かずにはいられません。

他のことは完璧といって良いほど。
なのに服に関しては冷静さを失ってしまう。

それを自分でもわかっているが止められない。

目の前に綺麗な服があると、私はそれを買わないわけにはいかないの。必要だとか不必要だとか、数が多いだとか少ないだとか、そんなことは問題ではなくなってしまうのよ。ただ単に、もう買うのを止めることが出来なくなっちゃうのよ。まるで何かの中毒みたいに。

引用:[書籍]レキシントンの幽霊 (文春文庫) 村上春樹 著 「トニー滝谷」より

あるときトニーが彼女へ「服を買うのを控えてみたらどうか」と言い、それがきっかけで物語は予期しない方向へ動いていきます..。

物語の展開は小説を読んでいただき、ここでは心とモノとの関係について考えていきます。

なぜ彼女は”服”を買わないわけにはいかなかったのか

トニー滝谷に出てくる女性からは、服に対してピタリと心が寄り添って、分かち難くなっているような、そんな様子を感じます。

女性が「買わないわけにはいかない」ほどに服が大好きな理由は小説には書かれていません。

私が考えた理由はこんな感じ。

  • 心のわだかまりが服への嗜好に現れている
  • 彼女のなんらかの心の穴を埋めるのが、服だった
  • 服がとても似合うことが、より心を服へ傾倒させた

非常に陳腐な推測ですみませんが、とにかく、彼女の心理に、衝動のもとがあったのだろうと考えられます。

彼女にとって服は「特別な翼」だった

たとえば彼女は服を通して(服装のモデルをする・ファッションデザイナーをするなど)何か夢を見ていたのかもしれません。

一方、ごく現実的な判断として、彼女は就職や結婚を通し、実直な人生を生きようとしています。

平穏な人生を作り上げたい欲求も、特別な世界を羽ばたきたい欲求も、すべての人にあります。

服がとても好きで、服がとても似合う。
そんな「特別な翼」を持ちながらも、自らの甘美な夢へ飛び立つことを彼女はやめました。

彼女にとって服は、何かを選んだと同時に失ったもののひとつの象徴だったように思えます。

きっと彼女は服を着るとき、自分自身、本当に「遠い世界へ飛び立つ鳥」となり、そして「特別な風」を身にまとっていたのだろうと思われます。

彼女にとって服は、心のよりどころだったのかもしれません。

持ち物に現れる自分の”不完全さ”

心のよりどころをモノに求めてしまう

人はモノを選ぶとき、自分が把握できる理性的な判断だけにとどまらず、自分の無意識も投影させます。

例えば、通常、モノを買うときに私たちはこういったことを考えますよね。

  • 〇〇に必要だから買おう
  • これを使うと便利だから買おう
  • かっこいい・素敵・かわいいから買おう

これ以外にも色々ありますが、少なくとも現実的なプランを実現する手段としてモノを買います。
でも一方で、同時にまったく頭に浮かぶことのなかったものごとも、実はモノを買うときの要因になっています

これは、ほとんど”心”の持ちよう、「無意識による判断」と言えるかもしれません。

さまざまな心のことが、所有するモノに投影されます。

そして、自分の持ち物を見直して回ると、そこに投影された心には、いつも、「自分の不完全さ」がついて回ることに気づきます。

自分の持ちものから自分の心持ちを探る

例えば、私は意識しないと白ばかり選ぶ傾向があって、白に囲まれてるようなときがあります。

白なら邪魔にならない色だし、同系色でまとめたほうが統一感あるし

そう思っていましたが、よく考えたら邪魔にならないくらいなものなら、黒でもグレーでも木目でも、別にいいんですよね。そして、この白ばかり選ぶ現象を色彩心理で見てみると「完璧主義」の現れだったりします。

うわー!ゆるくやってるつもりなのに!
完璧主義なんて!いやだー

と思ったのですが、まぁこれも自分の心の現れ。きっと、暮らし系のキレイな家に憧れているので、力んでそういうのを実現したがっているのでしょう。

自分に欠けていることを、モノで埋めようとする心理が人間にはあります。

やはりというか、自分の理性と、自分の心が必ずしもピタリと連動するわけじゃないですね。

不完全さを愛するために

モノは自分の心のよりどころです。

トニー滝谷の女性のように、私にとっての白いモノは、部分的な私の心を現したものでもあるようです。

見たくもない自分の心を観察するのは、格好悪いし、嫌なものです。
しかし、心は心の状態として、自分自身を理解してあげるのも大切なこと。

自分の不完全さは、自分のために存在しています。

なぜなら、理性の足りない部分を補うべく、心は動くからです。
心が動かないと人間の理性は自分の身体の状態を認識できません。身体を酷使させるのみに動き、すぐにダメにしてしまいます。

理性と身体をやわらかく繋いでいるのが心です。ものに投影される心は、自分自身が、みずからの暮らしのバランスをとって、良いものにしようとしている現れでもあるのです。

そう思うと、ちょっと「うわー」となっても頭ごなしに否定せず、愛してあげようと思えます。

理想的でないものを選んでしまったり、自分でも予想外のものを買ってしまったりすることって、誰にでもあると思うのですが、それも自分の心がメッセージを送っているのかもしれません。

モノを自分の心として見てみる

これから年末の大掃除で、ご自分のモノを見返す機会もあるかと思います。

色彩心理のように理論だったことでなくとも大丈夫です。
「あれ、私の持ち物そういえば..」と、自分のモノに意識を向けてみて、心の動きを観察するのはとても有意義なことです。

今まで気づかなかった自分が、日々の暮らしにどう彩りを添えようとしていたかが、ハッと見えてくることもありますよ。

余談ですが、「トニー滝谷」もぜひ読んでみてください。
映画化もされていて、そちらもオススメです。

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