「象の消滅(THE ELEPHANT VANISHES)」|ニューヨークが選んだ村上春樹の短編17篇
村上春樹の短編集ということでご紹介します。
もう古い書籍なので、知っている方は「何を今更」と思われるかもしれませんが、せっかくなので書かせてください。記事のために読み返しましたが、今、読んでも、とてもいい作品ばかりです。
書籍の黄色い装丁がとても良いですね。デザイナーさんはジュラシックパークの、あの骨のロゴなんかも手がけた人だそうですよ(”はじめに”に書いてあった)。元版の英語でレイアウトされた装丁なんかは、部屋にポスターみたいに飾っておきたいくらいにかっこいいです。
この「象の消滅(THE ELEPHANT VANISHES)」は、アメリカで出版された村上春樹の短編集(の日本語版)です。原版はクノップフ社という出版社から出版されています。
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作品のタイトル一覧
さて、作品がこちら。全部で17の短編が読めます。
- ねじまき鳥と火曜日の女たち
- パン屋再襲撃
- カンガルー通信
- 四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて
- 眠り
- ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアイン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界
- レーダーホーゼン
- 納屋を焼く
- 緑色の獣
- ファミリー・アフェア
- 窓
- TVピープル
- 中国行きのスロウ・ボート
- 踊る小人
- 午後の最後の芝生
- 沈黙
- 象の消滅
どれも読み物としてはとても良いです。
最初の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は、後々の長編代表作「ねじまき鳥クロニクル」の元となった短編です。この短編が、長編の予告的な書き出しになったと思うと、読んでいて何か不思議な気分になります。また、「納屋を焼く」、「TVピープル」、「中国行きのスロウ・ボート」などは、村上春樹の短編作品として有名な作品です。読みがいのある短編集となっています。
個人的に、ご紹介する作品を3つピックアップするならば、「パン屋再襲撃」、「緑色の獣」、「午後の最後の芝生」あたり。この3つをご紹介してみようと思います。
パン屋再襲撃
パン屋襲撃の話を妻に聞かせたことが正しい選択であったのかどうか、いまもって確信が持てない。
象の消滅(THE ELEPHANT VANISHES)|パン屋再襲撃 より
出だしから、深刻なのか、微笑ましいのか、気になる文章の短編。パン屋って、襲撃って笑
物語は、主人公の”僕”と、その奥さん、結婚したばかりの夫婦が、冷蔵庫の中の食品を切らせてしまい、深夜にお腹を空かせたところから始まります。オールナイトのレストランを探そう、と、提案した僕に対して、奥さんが
「夜の十二時を過ぎてから食事をするために外出するなんてどこか間違ってるわ」
象の消滅(THE ELEPHANT VANISHES)|パン屋再襲撃 より
そう、きっぱり言うのが、新婚らしい二人の関係をよく現わしています。(主人公もきちんと言うことを聞く)
さて、それがなんでパン屋を襲撃、しかも”再”襲撃することになるのか。
主人公が過去、パン屋を襲撃することになった経緯と、その時の何ともいえない不思議な展開。そして、主人公も予期していなかった再襲撃。短編17ページの間に、ちょっとした一言から人生が思わぬ方向へ転がりだす様子がユニークに描かれています。現実の物ごとがファンタジーのように進んでいく村上春樹らしい演出でもあります。
大事なのは、このメッセージ。
僕は何はともあれとにかく妻にパン屋襲撃のことを話してしまった
象の消滅(THE ELEPHANT VANISHES)|パン屋再襲撃 より 文の一部を抜粋
人生の細部が大きな物事の一角を担っている事実、そして、(残酷にも?)大きくとも小さくとも、起きてしまったことは、どんな風に考えたところで変わるわけがない。
当たり前だった「一方向な人生」について、改めて思考が巡るようになる、短編らしい短編。
緑色の獣
書籍の中でも5ページという短さも特徴の短編。
ある夕暮れどき、一人で窓辺に座り、庭の椎木を見つめていた女性の前に、緑色の獣が現れます。
その獣は、地中を掘って彼女に会いに、しかも「プロポーズ」しに来たようです。挙句、なんと人の心が読める模様。
獣はきらきらと光る緑色の鱗に覆われていた。獣は土の中から出てくるとぶるぶるっと身を震わせ、鱗についた土を落とした。鼻は奇妙に長く、先にいけばいくほど緑色が濃くなっていた。先端は鞭のように細く尖っていた。でも目だけが普通の人間の目をしていて、それが私をぞっとさせた。目にはきちんとした感情のようなものが宿っていたからだ。私の目やあなたの目と同じように。
象の消滅(THE ELEPHANT VANISHES)|緑色の獣 より
緑色の獣はもちろん彼女を慕ってここまで来たのですが、彼女には、プロポーズのことなんて酌量する余地もなく、この気味の悪い獣をなんとかしなくてはと、考えをめぐらせます。すると、あることを心に思い浮かべた時に獣の様子が変わり始め..。
ねえ獣、お前は女というもののことをよく知らないんだ。そういう種類のことなら私にはいくらだっていくらだって思いつけるのだ。
象の消滅(THE ELEPHANT VANISHES)|緑色の獣 より
男性から映る”女性という生きもの”の内側には、うかがい知れないほどの、恐ろしい「強さ」を垣間見ることができます。そういう表だっては現れない女性の輪郭みたいなものが、短い絵本のようなストーリーの中に巧みに描かれた小説だと思います。
一種の風刺みたいな短編。
午後の最後の芝生
短編の中でも、爽やかな物語で、非常に気に入っているのがこちら。
ジム・モリソンが「ライトマイファイア」を唄ったり、ポール・マッカートニーが「ロング・アンド・ワインディングロード」を唄ったりしていた時代(調べてみたら1970年くらいですね)、18か、19才だった主人公の”僕”は、芝刈りのアルバイトをする大学生でした。
遠距離恋愛をしていた彼女と別れてしまい、芝刈りで稼いでいた、夏の小旅行用のお金が必要なくなってしまった僕。お金がいらないとなれば..、と、芝刈りの会社にアルバイトを辞める旨を伝えます。
この物語の「最後の芝生」は、主人公が最後の芝刈りをやったときの記憶を、小説として描いているようです。
記憶というのは小説に似ている、あるいは小説というのは記憶に似ている。
象の消滅(THE ELEPHANT VANISHES)|午後の最後の芝生 より
文中にも出てくる、この言葉通り、一つの記憶の描写が、小説として物語になっていくさまを、ありありと感じられる作品です。
夏の暑い日、遠くの町の遠くの道、涼しくなる風と鮮やかな緑、くすの木のある大きな庭、ウィスキーグラスを持った女性との会話。芝刈りをする夏の午後の一つ一つの記憶描写が、物語を「どこか別の世界の現実」みたいに変化させていくのがわかります。読み終わると、自分の記憶が少し増えたような、そんな気分になる小説です。
あと、主人公が芝刈りを自分なりのルールで丁寧にやる感じが、村上春樹小説に出てくる人物らしくて好感触です。
「やれやれ」も多い気がする
以上、自分なりの解釈ではありますが、短編3つの紹介でした。いかがでしたでしょうか? もしこれを読んで、書籍にご興味を持っていただけましたら嬉しい限りです。
さて、これは余談ですが、この「象の消滅」の中にある各短編、村上春樹の代名詞(?)とも言えるセリフ、主人公である”僕”の「やれやれ」が、けっこうチラホラと見られたような。あれで、良い悪い別れる人も多いので、ご自分はどちらか、試してみるのも面白いかもしれませんね。
まぁそれはともかく、小説はかなり楽しめます。ぜひ一度、読んでみてください。